あなたが
私の
眼鏡になると
おっしゃるのですか?
「俺が君の眼鏡になるんだ! 君の代わりにに遠くをみてあげるよ」 目を輝かして笑う友人の姿に、私は内心、どう対応していいのか迷ってしまった。 眼鏡になる。 そんなアホな。 それは私の代わりに遠くのものをみるということ。 それは、片時も離れず、傍にいるということ。 気まぐれなお子様がひとところにじっとしていられるわけ無いのに、何を馬鹿な。 放置すればまた何か、いつもどおり騒ぎを起こすだろう。だから私はゆっくりと、そう玩具屋の前で駄々をこねる幼稚園児に対してするように、諭すことにした。 「でも、やはり一人で遠くを見れないのは不便です。 アメリカさんがいらっしゃらないときはどうしたらよいですか?」 「じゃあ、離れないでいつもこうしていればいいよ! 眼鏡は体の一部だからね。 君に拒否権はないんだぞ」 わけのわからない幼稚なロジックに自然と頬がゆるむ。 背中から抱きつく彼を横目でみれば、眼鏡の奥のスカイブルーには笑いの中に思いもかけない熱情が混じって、私を戸惑わせた。
友人だと思っていた彼が私への恋情を説き始めて早百年と少し。 「おなかすいたんだぞ!」 「ゲームしたいんだぞ!」 「眠いんだぞ!」 愛の言葉の合間には『パンとサーカス』を求めるローマ人のように、彼は要求を次々と押し付けてくる。 家事をこなす私にまとわりついてペラペラと長話をし、食卓いっぱいの食べ物を平らげ、ゲームにはしゃぎ声をあげるアメリカさんから口説かれても、正直なところ少しも真実味はなかった。
「お母さんが欲しいんでしょうね」 飛行場から自宅へ戻る道の途中、通りかかった河原でアメリカさんはポチ君に棒を投げて遊んでいた。 白いTシャツが良く似合う広い肩幅、青いジーンズに仕舞われた長い脚。 土手に座る私の目に映る彼の外見はもう十分に成熟した大人だ。けれど、内面は外見とつりあうほど成熟しているとは思えなかった。
飽きっぽくて、上手くクリアできないゲームはすぐに放棄。 他人の忠告には耳を貸さない。 すぐに怒る。 自信過剰。傲慢。 ポジティブとは聞こえがいいけど、単に自分勝手なだけ。 わがままで横暴で、私を召使か何かと勘違いしている。
そんな相手に愛だの恋だの囁かれても、素直にはいそうですか、と受け入れるわけにはいかなかった。 結局、彼は便利な存在が欲しいだけなのだ。そう、なんでも言うことを聞いてくれるママが。 気が弱くて、要求されるままにカネでもモノでもサービスでも差し出す私は格好の奴隷なのだ。 先進国とは名ばかりの、みっともないチビの太鼓もち。 『友達』という名前のパシリ。 ジャイアンにとってのノビタ。 チビで根暗でひ弱で非常識で、飼ってもらえるだけありがたい雑種犬。
「きゅわん!」 とめどない自己嫌悪はポチ君の悲鳴で破られた。 目線の先には、川にざぶざぶと入っていく金髪頭があった。 「アメリカさん!」 私の呼び声を無視して、友人はざぶり、と腰まで水に浸かって川を渡る。昨日まで雨だったらしいから、水深は決して浅くは無い。 「アメリカさん!何をやっていらっしゃるのですか?」 「はい、取れたよ!」 中州まで渡りきったアメリカさんは、葦に引っかかっていた小さな帽子をつまんだ。 河岸には数人の子どもたちの歓声が響く。 赤いスカートの女の子が顔一面に笑顔を浮かべている。 「アメリカさん、何をなさっていたのですか?」 「ああ、あの子が帽子流されたって泣いていたから」 ジーンズをすっかりぬらした彼は屈託なく笑った。 「俺はヒーローだからね!」 前髪から落ちる雫が煌いて、爽やかな瞳の青を引き立てていた。 太陽の髪に空色の瞳に満開の笑顔。 ためらいもなく川に入っていける、鮮やかな青年。 華やかで、たくましく、おおらかで、自由で、慈悲深く、でも決して気負わない。 開国の頃、ターニングテーブルとかいう遊びで吐いた嘘が、どんなに私を勇気付けたか。彼はそんなこと、きっと覚えていない。 堂々とした彼が、卑屈で矮小で内向的な私を愛しているなんて信じられなかった。 もし仮に、囁きを真に受けて付き合うとか恋愛関係だとか、そんな展開になっても、すぐに失望されて、飽きられるはずだ。 今みたく大人ぶって、相手を子ども扱いできるうちが花。
「早く家に帰りましょうね。ヒーローさん」
私はわざとお節介な母親みたいな口をたたいて、広い肩にジャケットをかぶせた。 そして、いつか彼の気が変わって私に話しかけなくなったときに備えて、早まる鼓動を年齢のせいにした。
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