『おや、フランスさんですか?冬コミ以来ですね。

 ・・・・・・ええ、今年もバレンタインデーは楽しかったです。

 喧嘩もしましたけど、イギリスさんとのんびり過ごせました。

 ・・・・・・たいしたことないですよ。もう仲直りしています。

・・・・・・まぁ、私は頑固で彼は思い込みが激しくて。歳はとりたくないですね。

・・・・・・そうだ、アメリカさんとシーランド君も遊びに来ましたよ。

 シー君は特撮映画のDVD見に来たんですよ。

フランスさんも見たがっていたあのシリーズの。

フランスさんもいらっしゃればよかったのに。

・・・・・・そうか、狩人としてはお忙しいですよね。そちらはどうでした?

 ・・・・・・あと、アメリカさんもいらして。

 私、お節介なんですけど心配なんですよ。

こんな日に年寄りの家に来て、大丈夫なんですかね。

あの方も年頃ですから、

ガールフレンドと遊んだ方が人生勉強にもなると思うのですが・・・・・』

 

 

 

最愛なる君へ

 

 

 

 

 『バレンタインデーは女性が意中の男性にチョコレートを贈る日なのですよ。

 残念ながら私は男ですから』

 クールな大人を演じていた日本が作る、214日の昼食はカレーライス。

 その隠し味を知ったイギリスが台所に駆けつければ、案の定日本は顔を手で覆ってなにやら足をばたつかせていた。髪から覗く耳は真っ赤で、イギリスは衝動にまかせて思い切り華奢な身体を抱きしめ、唇を奪った。

「お前の唇、柔らかいな。

俺が仕込んだからな、当然か」

 ついばんだ唇は普段よりも色づいて、イギリスの熱をかき立てる。

 柔らかい髪も、従順に閉じられたまぶたも、イギリスの背にまわす細い腕も、何から何まで愛おしい。

 午後を回ったばかりだけど、日本にもっと触れたかった。素肌に触れて、熱を分かち合い、照れずに愛を囁きたかった。

「なぁ、日本。夜には少し早いけど、いいか?」

「・・・・・・聞かないでください」

 長いキスの後、囁かれた日本はうつむいた。そして、イギリスから顔をそらして逃げるように台所を出て行く。

「シャワー用意してきますね」

「ああ、一緒に入ろう」

イギリスも立ち上がり、パタパタと着物の裾から覗く足袋を追いかけた。太陽が昇っている時間に肌を合わせたことだってもう数え切れないのに、いつまでも日本は直接的な愛情表現に慣れない。

それでも、よほどの事情がない限り、イギリスの愛情表現を拒むことはなかった。

今だって、廊下の中ほどでイギリスに捕まり肩を抱かれても、腕を振り払うことはなかった。

「シャワーの時間でさえ、お前を離してやらないからな」

「・・・・・・はい」

 消え入りそうな返事をつむぐ小さな口に、イギリスは再び接吻を落とした。浅く、そして徐々に深く。

 蕩けそうな唇を甘噛みしてねだれば、小さく開いてイギリスを迎え入れてくれた。唇と舌をどこまでも隙間なく合わせ、イギリスは舌先で日本の口腔の全てを奪う。

 鼠色の着物の襟に手を差し込むと年上の恋人は一瞬だけ身を固くしたものの、鎖骨を撫で胸へと這って行く無遠慮な侵入者を拒みはしなかった。

「イギリスさん、あの、廊下では・・・・・・」

「ああ、続きは風呂場でやるか」

「うん。それがいいと思うよ」

 冷静な声が割り入ってきた。

 日の射さない廊下の先にいたのは、アメリカだった。

 

 

 汚いものを見るかのように冷たい視線を送る若干19歳は、猫の仔のようにセーラー服の少年の首根っこを掴んでいる。

「何しやがるんですか!前が見えねーですよ、このメタボ!」

 金髪頭にかぶせてあるのはフライトジャケット。

「シーランド、この世には見ないほうが良いものがあるんだぞ」

「うあああああああ」

 脱兎のごとく日本が自室に逃げだす。

「俺達が汚物だっていうのかよ?アメリカ!」

 甘い時間を妨害されたイギリスは不機嫌さを丸出しにしてアメリカをにらみつけた。両手は既に拳が握られ、肉を叩く瞬間を待っていた。

 暖房のききにくい廊下が更に冷え込んでいく。

「知ってるか?アメリカ。

 この国にはな、『人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえ』って諺があるんだぞ。メジャーリーグの開幕戦、見られないようにしてやろうか?」

 その口調には紳士の信条である礼儀正しさはかけらもなかった。唇を真横ににんまりとつりあげ、挑戦的にアメリカを眺める様はまさに喧嘩好きなチンピラ。

 19歳ははぁ、と手を広げてため息をついた。

「俺を殴る前に日本のケアをしたら?また二百年引きこもられちゃうぞ」

「引きこもるなら好都合だ。俺の家で引きこもればいい」

「それって監禁だよ?君は本当に変態だな」

「ふがあああああ!早くシー君を解放しやがれですよ!」

 兄達の罵りあいに加え、末弟のかなきり声が静かな日本家屋にこだました。

「みぎゃああああああ。シー君を誘拐したって美味しくないですよ!

紅茶漬け眉毛のほうが肉柔らかいですよ!」

「だいたい、君暴れすぎなんだぞ?

呑みすぎちゃ露出するわ、すぐ泣くわ、喧嘩するわ、空想のお友達と盛り上がるわ、会議で一番騒々しいのは君なんだよ。

少しは自覚して大人しくしなよ」

「お前がとっととガキ連れて出てけば大人しくしてやるよ」

「ふごおおおおお。シー君を邪魔者扱いしましたね?

許さないですよ!

シー君ランチャー発射!行け!アメリカゲリオン初号機!」

「よし! ちょっとこのヒーローが公然猥褻現行犯に正義のパンチをお見舞いしてやるんだぞ!」

「ああ、やってみろ。

丁度暴れたかったんだ」

「ふぎいいいいいい」

「私の家を破壊しないで頂きたい!」 

 日本の私室から飛んできたマッサージローラーは見事に米英兄弟の頭に命中した。

 

 

「バレンタインチョコレート貰いに来たんだけど」

 2時間の説教後、アメリカは正座をしたままで今日の来訪理由を小さく答えた。

「なんだよ、おまえ、にほんはおれのもんだぞ!」

「イギリスさん!」

 正座を崩して弟の髪を引っ張ったイギリスは、恋人からの叱責にしょんぼりと肩を落とした。あからさまな落胆を慰めるのは膝にのったポチだ。

「で、シーランドが玄関の前で大声あげて泣いていたから、早く家にいれてあげようと思ったんだ。寒いしね」

「やはり、あの子供の声はシーランド君だったのですね」

 再び日本はイギリスを見下ろす。その眼差しは冷たい。

「全く、シーランド君にはかわいそうなことをしました。

せっかく特撮のDVDを見にいらしたのに」

 当のシーランドはDVDとホットミルクでご機嫌である。来訪の目的を誤解されたことにも気がつかない。

「だからさ、早くチョコレート頂戴!」

 ようやく生来の陽気さを取り戻した声が居間に響く。日本は小さくため息をつき、台所から赤い袋を持ってくる。

 中からはチョコエッグが数個転がり出てきた。

「おー!これ、中にフィギュアが入っているんだよね。

クールなんだぞ!

「お気に召して頂いて何よりです。

お茶でも淹れましょうかね」

 よいしょ、と年寄りじみた掛け声とともに日本は台所へ向かった。

 

 

 急須に茶葉を入れながら、日本は軽く首をかしげた。

 今日はめまぐるしい日だ。花束と甘い接吻で始まり、チョコレートをめぐって険悪な空気が流れ、そして情熱が支配する時間がはじまりかけて、兄弟喧嘩でお説教。

 年寄りは甘い夢をみなさんな、とでも神様がおっしゃっているのでしょうか?

「・・・・・・にほん」

 そしてまた大波が襲ってくる。今度のは大津波だ。

 怒りを含んだイギリスの声。

 土下座した気の弱い紳士ではなく、望むものを全て強奪する荒々しい海賊の顔つきで、恋人は生活観溢れる台所に現れた。

「質問だ。

回答次第ではこの場で犯してやる。

おまえが愛する男は誰だ?」

「・・・・・・イギリスさんです」

 日本は眉間に盛大に皺を寄せ、湯の沸騰したヤカンを手に取った。勿論、いざとなれば狼藉者に湯を浴びせるつもりだ。

 イギリスもその意図に気がついたらしい。不敵にヤカンへ視線を投げ、脚を一歩前に踏み出す。いつでも脚払いをしてやるというサインだ。

「ご名答、さすが優等生。

では第二問。

この国でバレンタインデーにチョコレートをあげる意味は何だ?」

「・・・・・・。

アメリカさんに差し上げたチョコならば、意味はありませんよ。

欲しいとおっしゃるから差し上げただけです。

あなたにも、その、カレーを作ったでしょう」

「・・・・・・そんな言い訳が通るかよ」

 凄みが増す眼差しには、激しい怒りの中に嫉妬と寂しさが混じっていた。

「お前はアメリカの方が大事なんだろ。

俺がチョコ欲しいって言ったってくれなかったくせに。

アメリカにはチョコをあげて、ついでに尻も振ってんだろう?」

 一気にまくし立て、イギリスはヤカンへ伸びた日本の手を掴み、そのまま壁に押し付ける。がたがたと衝撃で食器棚の戸が揺れた。

「カレーに入れたチョコだって、実はただの隠し味なんだろ?料理上手としては変わった隠し味を試したかったんだな。

実験は成功したから次はアメリカに作ってやれるな

「あれは、ですから、チョコレートを」

 震える低音は鼻で笑われた。イギリスは若葉色の瞳をゆがめ、日本の耳朶に噛み付く。ぴりりとした痛みが日本の神経を走った。

「痛!いい加減にしてください!」

「つまんねぇ細工するなよ、カレーなんかレトルトで沢山だ!

チョコレートなんかいらねぇんだぞ」

 まくし立てるバリトンはどんどんと勢いを増していく。

 止まらない。

 手首を掴む腕の力の強さに、興奮で紅潮した頬に、日本は息を呑んだ。

 今日のために何日も前から準備したカレーなのに。

 削った板チョコを溶かすとき、鼓動が早くなって大変だったのに。

 廊下では蕩けるくらい優しい口付けを頂いたのに。

 チョコエッグは頼まれたから用意しただけなのに。

 些細な不注意が、全部ダメにしてしまった。

 相手も自分も傷つけてしまった。

 幸せなバレンタインが台無しだ。

 胸が痛くて息が苦しい。

「そもそもカレーにチョコレートなんか入ってないだろ?

本命にだけチョコあげれば足りるからな。

本当は俺なんか不要なんだろ。

本心じゃアメリカが好きで、でもお優しい日本さんはお情けで落ちぶれた大英帝国にお付き合いしてくださっているんだろ」

「違います。何でそんなことおっしゃるんですか!?」

お前もカレーもチョコも大嫌いだ!

あんな不味いカレーを我慢して食うんじゃなかった。

辛い料理に甘いもんが入ってるなんて気持ち悪い」

「人が一生懸命作ったのに、馬鹿にしないでください!

 低音が爆発した。

「スパイスを選んで、たまねぎを何個もみじん切りして、何時間も煮込んで、チョコレートだって入れたのに、ひどいじゃないですか!

私、年甲斐もなく頑張ったんですよ」

 日本は手を押さえつけられたままでうつむいた。ひっく、としゃくりあげる音に、イギリスは年上の男の顔を覗き込んだ。

「わたしだって、イギリスさんに、チョコレート差し上げたいですよ」

 大きな黒の瞳からは、ぽろぽろと涙がこぼれる。瞳が溶けてしまいそうな大粒の涙に若緑の瞳が紳士に戻る。

「でも、本命チョコなんて、恥ずかしいじゃないですか。

孫にならお菓子を幾らでも買ってあげられます。

でも、恋人にチョコレートをあげるだなんて、わざとらしくて恥ずかしいじゃないですか」

 相手に聞かせるつもりがあるのかすらわからない小さな告白は、大声での応酬の後に切なく響いた。

「・・・・・・ごめん。俺、嫉妬でわけわからなくなってた」

 イギリスは押さえつけた手を放した。

「お前のカレー美味かったよ。

チョコレート入りだってわかって、すごく嬉しかった」

 涙をぬぐおうと近づけたイギリスの指は、大きく振られた顔に拒否された。

「レトルトでいいのでしょう?

美味しくなかったのでしょう?

私の料理なんか、チョコなんかいらないのでしょう」

「違うって、俺、チョコ貰ったアメリカに嫉妬してたんだ」

 指をなめらかな黒髪に止めて、イギリスは言葉を搾り出した。

「お前らは仲が良すぎて、俺には入り込めないときがあって、いつも寂しかった」

 日本の前では余裕を見せたいイギリスは、普段は醜い感情を隠そうとしている。でも、泣きじゃくる日本を笑顔にするために、今日は素直にならなくてはいけない。

「カレー、本当に嬉しかったんだ。

お前が毎年、こっそりチョコをくれてるって分かったとき、どんなに俺が喜んだか分かるか?

だから、お前が俺以外にチョコを贈ったとわかって、すごくショックを受けたんだ。

本当にごめん。お前の気持ち、ちゃんと伝わっているから。

カレー、今まで食べたどの店のものより美味かったぞ」

「ふぉんとですか?」

 ようやくあげられた顔。

 説教しているときの厳しさも、会議の時の鉄仮面も、そこにはない。

 涙を浮べた瞳を見開いた顔は、子供のように素直に悲しさをあらわしていた。そういえば、素直に弱さを晒す恋人を目にする機会はあまりなかった。

「来年もカレー作れよ。どうしてもっていうなら、食べてやるから」

 いつもの口調でほのかなぬくもりを抱きしめる。日本の頬に指を当てれば今度は涙を拭わせてくれた。

「俺も暴れる前に少し素直にならないとな」

囁くイギリスの唇は不意にふさがれた。

「私も、素直になりますね」

 

 

「お茶、まだですかねー」

 卓袱台ではアメリカ持参の大きなチョコレートケーキが派手に自己主張していた。子供のセーラー服から、負けじと腹の音が食欲をアピールする。

 そしてケーキの横にはいつも持ち歩いている爵位セット。爵位の欄には「男爵」の印字に二重線が引かれ「シーランド公国の恋人」と走り書きしてある。添えられたスポンジマンのメモ用紙には「バレンタインだから特別ですよ シーランド」との言葉とともに、犬のようなイラストが書かれていた。

 いくら泣いても一向に気がついてもらえない悔しさから、玄関先でシーランドはいつものようにラトビアに電話をかけた。ことの顛末を聞き終えた後で、気弱な親友は忠告してくれたのだ。

『薔薇の花束って、お兄さんの真似じゃない!カードだってお兄さんの二番煎じだよ。

君らしさを出さないで、どうやって気持ちが伝わるの?』

 その忠告を『お兄さんのダサさは天下一品だから、気持ちが伝わるより先に爆笑されるよ。真似しちゃあダメ』と解釈した子供は手持ちのモノで勝負しようと、独自の爵位と手紙を急遽用意したのである。

「もうおなかすいたですよー。

食べていいですか?」

 子供は悲しげな声を上げ、卓袱台に上半身を投げ出した。アメリカは眼鏡の奥で何故か少し寂しそうに笑って、弟をなだめた。

「このケーキの一口目は日本に食べてもらいたいんだぞ。

もう少し、我慢してくれよ」

 日本のバレンタインデーは、片思いの相手に告白できる日。

 そして、義理チョコも街中に溢れる日。

 今日ならば想いを告げても冗談で処理してもらえる。街中の騒ぎに浮かれたアメリカが、面白がってチョコレートをくれた、と。

 チョコに隠された真の意図を気付かれることなく、日本の中に想いを届けることが出来るのだ。

 兄の恋人である日本に対しておおっぴらに好きだと告げられる、年に一度だけのバレンタイン。

「おーい、君たち、早くお茶を持ってきてくれよ」

「シー君のお腹と背中がくっついたらどうしてくれんですか?

イングランド割譲なら手を打ってもいいですよ」

 子供たちの声は騒がしさを増していく。

 大人たちがしぶしぶ居間へ戻ってくるのは、それからすぐあとのことであった。

 

英米海兄弟にとっての最愛は日本。日本にとっての最愛は英。

報われても報われなくても、好きな人と一緒に過ごせるバレンタインは幸せ。

時系列は「From your secret」→「俺が思うより」→「最愛」

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