設定:適当です。英国がどこかの地域紛争に武力介入しているとみてください。

 

 

 隣にいられないけれど

 

 

  毎週土曜の夜八時。

  俺は必ず電話をかける。

  番号はもうすっかり暗記した、遠く大陸をはさんだ恋人の家のもの。

  そして必ず、2コールで応答が返って来る。

 『イギリスさん』

  柔らかなバスはいつも、長期化した紛争で強張った俺の心を緩めてくれた。

  電話で話すのは、些細な日常のことばかり。

  飼い犬がどうだとか、上司がこうだとか、庭の花がああだとか。

  月末には電話代にため息をつくと分かっていても、会話は止まらなかった。

 『イギリスさん、体調はいかがですか?』

  日本は時折、俺を気遣う言葉をかけてくれる。

  正直言えば、俺の体調は良好なものではない。いつの間にか体のあちらこちらに傷が増えているし、国内外からの非難へ

 対応する為に睡眠時間を削っている始末だ。

  でも、俺は体調不良を悟られないよう、電話口では努めて活発であるように振る舞った。

 『体調?俺はアレくらいでくたばるようなヤワな体してねぇぞ。

 お前やフランスとは鍛え方が違うんだ。余計な心配するなよ、馬鹿』

  日本の前では俺は強く賢く礼儀正しく、ありとあらゆる美徳を備えた存在でいたかった。花の名前を持つお姫様にふさわ 

 しい、白馬の騎士のままでいたかったのだ。アメリカやフランスはやせ我慢だと笑うけれども。

 

 

  その年は結局、クリスマスにも恋人と会うことはできなかった。

  俺は本国の基地に詰めていてアジアははるかに遠かった。基地で迎えるクリスマスはどの時代でもわびしいものだ。早朝 

 から雪が降っているが、戦車に積もった雪を見てもホワイトクリスマスなどと浮かれることはできない。

  同様に家族と離れている兵士たちの手前、俺は無理に明るく振る舞ったが、内心は不機嫌極まりなかった。

  あの黒い、優しい瞳に見つめられたい。

  穏やかな声で名前を呼ばれたい。

  白い手で触れられたい。

  すらりとした背筋を指でなぞり、思い切り抱きしめたい。

 

 

  クリスマス・イブの昼過ぎ、俺の執務室に下士官が荷物を届けてきた。一抱えもあるダンボールにはオレンジのイラス

 ト。    

  この時期に日本の台所の一角を占拠しているみかんの空き箱だ。下士官が退出した瞬間に俺はみかん箱に飛びついた。

  乱雑にテープをはがし、開けた箱の中には数種類のライス・クラッカーに栗の甘露煮、柚子のバスソルト、それから厚手の 

 ジャケットが詰められていた。深緑の木綿の生地で作られたジャケットは中に綿が入っているらしく、押すとフワフワと優

 しい弾力が感じられる。確か『どてら』と日本が呼んでいる防寒着だ。

 『イギリスさん』

  ジャケットに添えられたカードには懐かしい日本の字があった。ブルーブラックのインクでしたためられた字は、かつて

 俺が教えたとおりの美しい筆記体。俺は一文字一文字、丁寧に読んでいった。

 『クリスマスおめでとうございます。

 あなたが無理をなさっていないか心配です。

 もはやお助けすることも叶いませんが、いつでもあなたを思っています』

 

 

  簡単な文章。わずか三行。

  それでも、俺の涙腺を決壊させるには十分だった。

  腕を通した『どてら』は鉄とコンクリートで出来た部屋に閉じ込められた俺をゆっくりと暖めてくれた。

 

 

  クリスマス・イブの夜八時。

  俺はすっかり暗記した番号をダイヤルした。もちろん、クリスマスプレゼントを羽織って。

  2コールで聞こえる優しい低音。

 「余計な心配しやがって」

  情けないことに、俺は憎まれ口しか叩けない。本当はちゃんと、感謝と愛を伝えたいのに。

 「まぁ、せっかく郵便屋が運んでくれたからな、不恰好だけど着てやるよ」

  電話口の向こうで、彼が小さく笑う。母親が子供に対して示すような慈悲に、いつだって俺は甘えてしまう。

 「まぁ、どうしてもっていうならな」

  またしても冷たい言葉。それでも、日本は優しく礼を言い、そして俺に爆弾を投げつける。

 『そのどてら、私のものと色違いで作りました。

 私は今どてらを着ていますが、イギリスさんは何を着てらっしゃいますか?』

 「・・・・・・」

 『離れても同じものを着ることが出来るなんて、夫婦みたいでしょう?』

 「うわあわあああああああ。なんてはしたないことを言うんだ!

 馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿」

  許容量を軽く超える発言に、俺は手で顔を隠して叫ぶしかなかった。受話器からは俺の年上の妻の笑い声。

 「覚えておけよ、日本。

 今度お前に会ったときには、」

  俺は受話器をにらんだ。それから、暫くはこの基地から逃げられないことを思い出す。

  会いたい。

  ただ、会いたい。

  春になれば会えるだろうか。

  窓から見上げる灰色の空からは、途切れることなく雪が降っていた。

 

 日本さんが夜なべをしてどてらを作ってくれた。ペアルック。でもどてら。

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