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冷たい石材の床に歌声が響く。

地下室の湿った空気に蝋燭の焔が揺れた。

 

めらめらと焼き尽くせ

隅から隅まで恋の劫火で

黒のローブをまとい、彼は魔方陣の中心に置かれた蝋燭に手をかざす。

指の隙間から放たれた粉がチラチラと小さな焔を吹き上げ、散っていった。

残されるのは仄かなスミレの香。

 

跡形も残らぬように

理性までも焼き尽くせ

 

荒布からわずかばかり出された指が握っているのは、この場にはふさわしくない白菊であった。

ゆっくりと、男は清冽な白を引きちぎっていく。

 

めらめらと焼き尽くせ

われのよびかけにこたえ

今麗しい日本を

紅蓮の愛で焼き尽くせ

 

 

「好き」

「きらい」

「好き」

「きらい」

「好き」

 

 

はらはらと無残に花弁が散らされるたび、男は呪文を唱えた。

暗い明かりに照らされたその貌の肌は透き通るように青白く、その緑瞳は繊細な細工物が壊れていく様をひたすらに映し出している。

遠くから足音が近づいても、青年は花をむしりつづけた。

 

 

 

「好き」

「きらい」

「好き」

「きらい」

「好き」

「好き」

「きらい」

「好き」

「きらい」

「好き」

「きらい」

「好き」

「きらい」

「好き」

「……」

 

 

手が止まる。

茎に残されたのはわずか一枚の花弁。

最後の一枚は、絶望を示す予兆であった。

象牙色の影が男の背に回ったことすら、男は構わずに花弁を凝視し続ける。影から一本、腕が伸びた。

それでも男は気がつかない。

秘密の儀式が暴かれたことにも、背後を取られたことにも。

ゆっくりと腕が男の横を抜け、前へと伸ばされていく

 

「夕飯が出来ましたよ」

 

繊手が可憐な花弁を摘んだ。

ぎくり、とローブの男が振り返った先には、瞳も髪も闇色をした佳人がたたずんでいた。

「お前、この部屋には許可なく入るなっていったろ」

「このくらいいいでしょう。

遊んでいる間に他人が晩御飯を用意してくれるなんてありがたい話じゃないですか。

今晩はタンドリーチキンとほうれん草カレーです」

それだけを告げて、さっさと儀式の破壊者は部屋を出て行こうとする。一切の表情が消された顔は花占いの甘さとは限りなく遠かった。

ローブから差し出された手は空しく宙をつかむ。

「なんだよ!神聖な占いを邪魔するなよな」

緑が怒りで歪む。その視線を無表情のまま青年はため息で叩き落した。

「昨日、カレーが食べたいと言ったのはあなたでしょう。もっと感謝してもよろしいのではないでしょうか」

「そんなこと言ったおぼえはねぇ。

儀式の邪魔をしやがるなら、お前だって容赦はしないぞ」

瞳が更にゆがみ、闇に慣れた男の本性をさらけ出した。欲望の成就の為には全てを犠牲にできる、底知れぬ狂気が瞳孔の奥に渦巻いている。だが、黒髪の青年は一瞬だけわずかに柳眉を吊り上げただけで、深い低音で応じた。

「昨日、帰りがけに駅でインド旅行のポスター見て、インドカレーが食べたいって言ったじゃないですか」

「ああ、そうだったっけ。

だが、日本!」

「占いなんか必要ないでしょう。

だって結果はわかりきっているのですから」

日本は早口で告げた。

「私はもう、灰も残ってないくらい真っ黒に焼かれているんですから」

黒衣の男が止まった。

一歩踏み出した拍子にフードが取れ、金色の明るい美貌が現れた。翡翠は涙に満ち、上気した頬は震えている。

「日本、俺、おれ、おれ、おれおれおれ」

「さ、ご飯食べましょう。

チキンは昨夜から仕込んだものですし、カレーはスパイスを自分で調合してみました。

ナンもモチモチに焼けましたよ」

後ろを向いた日本のうなじも真っ赤に染まっている。

イギリスは歓喜の涙に呑まれながら、細い肢体を背中からぎゅっと抱きしめた。冷たい地下室の中で、そのぬくもりは何にも代えがたく尊い。

「……そんなに言うなら食べてやってもいいぞ」

「不味くても苦情は受け付けませんからね」

藍の着物からは馴染んだ香水のラストノートが漂っていた。薔薇の香水は朝、ふたりでつけあったものだった。

 

 

花占いの結果を唇で立証し、愛ある食卓に向かった黒と緑の瞳は地下室よりも凄惨な光景を捉えることになった。

テーブルにうずたかく積まれた鳥の骨。

シンクにひっくり返された鍋。

上質なリネンに散らばる黄色の染みは、染み抜きで回復させるには数が多すぎた。

 食卓の向こうには大きな影があった。

「日本!遊びに来たんだぞ!

ついでにご飯も食べさせてもらったよ。

DDDDD!

チキンもカレーもパンもおいしかったんだぞ!3分で食べちゃった!」

口の周りを油で汚した19歳が立てひざをついて椅子に座っていた。

「イギリスさん、私にもさっきの儀式のオリジナル、教えて頂けないでしょうか」

「ロシアにやったやつか。

いいだろう。おまえも数多くの妖怪を擁する国だ。二人合わせれば効果は相当になるな」

 

めらめらと焼き尽くせ

隅から隅までその劫火で

跡形も残らぬよに

アメリカの胃袋焼き尽くせ

 

 

バスとバリトンの二重唱がこだますれば、マホガニーの優雅な食堂は一瞬で古代の祭祀場へと転換したのだった。