わたしのにわ(露←ベラ)

 

 

 わたしの庭には花がない。

 いくら冬は雪で閉ざされるといえ、夏になればこのあたりの家の庭では色とりどりに花々が咲き競う。

 ヤグルマギク、ヘンルーダ、マーガレット、パンジー。狂ったように色鮮やかに。花なんかすぐ枯れるのに、植える連中は馬鹿みたいだ。花はひとつで十分だろ。

 わたしの庭には花はない。庭中どこもかしこも穴だらけだ。

穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。穴。どこもかしこも穴だらけ。

  

 

 兄さんのマフラーが汚れていたのでわたしは新しいマフラーを編んだ。

 極細のモヘアの毛糸はやがて、優しい手触りの白いマフラーへと変わる。三日月のようなどこまでも銀に近い金の髪と、すみれ色の瞳をきっと引き立たせるに違いない、純白の雪色のマフラー。

 ボールペンのインクをぶちまけたマフラーを捨て、わたしは居間のコート掛にモヘアをかけた。ハシバミ色の軍用コートにだってこのマフラーは似合っている。

「このマフラーはベラルーシかな?」

 おっとりとしたテノールがわたしの髪を撫でる。無言でうなずけばテノールは半音階上がってはしゃいでくれた。

「ありがとう!ベラルーシ!ふわふわだね」

 大きな頼もしい身体を揺らし、満面の笑みでわたしを褒めてくれる。わたしは胸で手を組み、ひと時その栄光に酔いしれた。

「結婚結婚結婚結婚」

 そう、たったひと時だけ。

「でも、ごめんね。

マフラーは姉さんが編んでくれているんだ」

 眉を寄せ、困ったように兄さんが笑う。

「ラトビアがマフラーをなくして困っているから、これ、わけてあげていいかな?」

 声はもうわたしには届かない。

 またわたしはスコップを手に取らなければならない。

 

 

 郵便で届いたマフラーは全くブサイクなものだった。

  太い毛糸はガキっぽいし、赤に白のトナカイのモチーフなんて平凡だ。

 それにデザインが失敗したトナカイはぶくぶく太ってまるで牛のようだ。そう、兄さんが 嫌うあの男の国に沢山転がっているバッファローみたいだ。

 整ってない編目にはあちこちに穴があいて、これでは兄さんが風邪をひいてしまう。

 兄さんの喉という大事な場所を保護するマフラーなのに姉さんは全く分かっていない。

 分かるわけがない。

 姉さんは兄さんを利用しようとしか思ってないんだから。

 わたし以外の人間が兄さんの健康を気遣うはずがない。

  だからわたしは無様な布切れに待ち針を刺してやった。

 こんなことで兄さんに取り入ろうとしてもダメだってことを、思い知らせてやる。

待ち針はぼろきれに埋もれ、遠目からは見つけることはできなかった。首筋を刺す痛みにしかめられる兄さんの顔を想像するだけでわたしの鼓動が早くなる。兄さんはあの女がわざと待ち針を残したと思い込んで、優しい顔を真っ赤にして激怒するだろう。

  兄さんには少し怪我をさせてしまうけれども、姉さんの腹黒さを分かってもらうためには仕方が無い。一瞬の痛みで致命的な誤解を解いてあげることができるのだ、もしばれたとしても兄さんは分かってくれる。だってわたしだけが兄さんを守れるのだから。

そして、感謝のキスをたくさん、たくさん、たくさん、わたしにくれるのだろう。

 たくさん、たくさん、たくさん、たくさん、たくさん、たくさん、砂糖菓子より甘いキスの雨たくさん。

 兄さんのキス。

 優しいキス。

 暖かいキス。

 キスはイチゴジャムよりカスタードクリームより蜂蜜より甘くて甘くて、きっと兄さんもわたしも夢中になるはずだ。

 

 

 翌朝、マフラーを巻いた瞬間に兄さんは小さな悲鳴をあげた。外したマフラーを眺めて、小さなため息をつく。わたしはリンゴの皮を剥く振りをして次の瞬間を待つ。

 はやく姉さんを罵ればいい。

 そして、わたしの視界の中で兄さんは唇の端をかすかにゆがめた。

「姉さんはいつまでもそそっかしいな」

 のんびりした声が朝の居間に響く。窓の外には生まれたての光。明るい光は万物を照らす。  

 太陽も兄さんとわたしだけを照らせば十分なのに。

 わたしはゆっくりと果物ナイフを振り上げた。

 これはわたしの兄さんではない。

 

 

 どこまでも高く青い空。屋根では小鳥が葬送曲を歌う。

 わたしは庭に穴を掘る。

 青い小鳥は屋根の上。

 わたし以外の女を愛する馬鹿なんか、わたしの兄さんではない。

わたしだけが兄さんを見ているのに。

わたしだけが兄さんを裏切らないのに。

わたしだけが兄さんを守れるのに。

わたしだけが兄さんの声を聞いているのに。

わたしだけが兄さんを癒せるのに。

わたしだけが兄さんを心配しているのに。

わたしだけが兄さんを理解しているのに。

わたしだけが兄さんを尊敬しているのに。

わたしだけが兄さんを抱きしめるのに。

わたしだけが兄さんを必要としているのに。

わたしだけが兄さんを信じているのに。

わたしだけが兄さんを暖められるのに。

わたしだけが兄さんの未来を考えているのに。

わたしだけが兄さんの傍にいるのに。

わたしだけが兄さんに尽くすのに。

わたしだけが兄さんを許せるのに。

わたしだけが兄さんの涙を拭うのに。

わたしだけが兄さんに頼っているのに。

わたしだけが兄さんを笑顔にできるのに。

わたしだけが兄さんの闇を照らせるのに。

わたしだけが兄さんの悲しみを知っているのに。

わたしだけが兄さんの敵を殺せるのに。

わたしだけが兄さんに優しくできるのに。

わたしだけが兄さんの美しさに気がついているのに。

わたしだけが兄さんを救えるのに。

わたしだけが兄さんを励ませるのに。

わたしだけが兄さんを助けられるのに。

わたしだけが兄さんを愛しているのに。

わたしだけが兄さんを。

なのに。

わたしだけの兄さんに、何故ならない?

 不要な死体は埋めてやれ。

 

 わたし達は国だ。

 身体をいくら傷つけても、朝が来れば蘇る。

 何度も何度も生まれ変われば、きっと兄さんも悟るはずだ。

 

 わたしだけを兄さんは愛しているって。

 わたしだけが兄さんは必要だって。

 冷たい土の下で、誰が唯一尊いのか、気がつくはずだ。

 

 数千回の蘇生の果てに、わたしだけの兄さんがいつかきっと生まれてくる。

 美しい朝が訪れるまでわたしは何度でも穴を掘る。

 わたしだけの兄さんのために。  

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