『真珠夫人』
第一章 雨夜の事故
第二章 追憶
第三章 三文芝居
第四章 甘美なる罠
第五章 計略の果てに
第六章 溺れし者は
第七章 暗夜行路
終章 真珠
本文サンプル
第一章 雨夜の事故 ◆ ◆ ◆ 「今日は楽しかったですね。氷川神社のお祭りは、本当に久しぶりでしたし」 有名な寺や神社の祭礼には、仕事で来客を案内したり、休日に見物に行ったりはしてきた。しかし、最後にあの神社の祭礼へ行ったのは、もう数十年の前のことだ。 今日、本田はひとつだけライヴィスに嘘をついた。 あの神社の祭礼に行かない理由は、人間を見送らなくてはならない寂しさだけではない。最後にともに祭礼に出かけた相手に、置き去りにされてしまったからだ。 自分と彼の道はいつの間にか遠く離れて、彼はもう振り向きもしない。 自分だけが、どこにも行けない。 愛犬が鼻をと鳴らして頬を舐めてくる。 飼い主は小声でおやすみなさい、と挨拶を返し、眼を閉じた。 まぶたに広がる無数の提灯は、記憶の奥深くにある光景。
第二章 追憶 ◆ ◆ ◆
「作戦会議は、出航後にしませんか?」 「え、と、あ、と」 慌てふためく翠瞳の前に、左の薬指をかざす。そこには、白の真珠が誇らしげに輝いていた。 「これをはめる、資格を下さる約束でしたよね」 低音で囁くと、アーサーののどが鳴る音が聞こえた。左手を握られ、抱き寄せられる。 軽い口付け。それから、深い接吻。ラジオから流れるワルツも、すぐに耳に届かなくなった。 唇に翻弄されている間に、アーサーは本田の華奢な身体に覆いかぶさった。本田はその重さをゆっくりと受け入れる。 狭い寝台で身体を重ねるように抱き合い、更にお互いの唇を味わう。和服に慣れぬ恋人のために、本田は腰を浮かせて帯を解く手助けをした。初めて触れ合う素肌の熱が心地よく、本田はしっかりとアーサーにしがみついた。
第四章 甘美なる罠 ◆ ◆ ◆
「本当だよ、俺が君を守るよ」 「信じても、いいのですか?」 更なる問いかけに、アルフレッドは身体を回転させ、本田の方へ向いた。しばらく、闇の中で本田の顔を見つめ、やがて静かに告げる。 「信じてくれよ」 「うれしいです。 そんなこと、アーサーさんは一言も言ってくれなかったから」 本田は小さく笑って、目を閉じた。何かが近づく気配がして、やがて、誰かの懐に抱きこまれる。自分よりもずっと体格の大きな相手は、本田の髪に顔を埋める。本田はゆっくりと、身体を相手に寄り添わせた。 すべて、本田の計算通りだった。 |