首を長くしてお待ちしておりました
去年の夏の終わりの話だよ。 滞在先でもダンディズムお兄さんは、日本に来たとき、会議後独りで議場近くのバーに行ったんだ。
独り酒、渋いでしょ?
セクシー?クール?何とでも言ってちょうだいな。ほんとのことだもんね。 んで、ウィスキーをかなり空けてホテルに戻る頃には深夜の12時を越えていた。明るいうちには人出の多かった煉瓦街だけど、そんな時分には酔っ払いがところどころで歩いているだけ。ようやく涼しくなった夜風を楽しみながら、ふらふら、ほろ酔い心地で歩いていると後ろから声をかけられたんだ。
「ヒリペ様、やっと迎えに来てくださったのですね」
か細い声に振り向くと、黄色い着物姿の女の子が立ってた。 一目見た印象は悪いけど……幸薄そう、の一言。 くすんだ色の着物は襟が擦り切れてるし、その中の体は魅力的というには痩せすぎていた。 もしこれが俺好みのお嬢さんなら、彼女の待ち人である『ヒリペ様』じゃないけどバーに戻って口説きに入るね。 何ドイツ、眉間にしわ寄せてるの?いいじゃん、女を待たせておく男が悪いんだよ。 恋は戦争、奪うか奪われるか、チャンスは大いに活かさないと。それができない男はいつまでも、あ、ごめんね、お兄さん配慮足りなかった。そうだよね、清廉潔白なドイツ君はルールを守っていつまでも可愛いサクランボであといくつ寝ると魔法使い・・・・・・。 ぎゃ。 そうそう、その、なんか地味な女の子の話ね。戻るよ。 でも、青白い顔の彼女に対しては、俺だってそういう欲は起きなかった。あまり、美味しそうじゃなかったからね。 男に捨てられたの?かわいそう、程度にしか思わなかった。 「人違いだよ。お嬢さん」 絡まれないように、彼女にきっぱり告げたんだ。 すると彼女はまじまじと俺を見上げてきた。 痩せた顔に目だけがぎょろぎょろ大きくて、そう、すごく大きくて、頭蓋骨みたいだった。 そんで、彼女は言ったんだよ。
「ヒリペ様、首を長くしてお待ちしておりました」
その目は俺を見ているようで、見ていない。 焦点は合ってないんだ。 口も半開きだし。 この娘、ちょっとやばいって思うだろ?ジャンキーかなって。 あごから喉にかけて変な引っかき傷がたくさんあるし。 「ううん、俺、その『ヒリペ様』じゃないから」 俺はさっと手を振って、一目散に逃げ出した。
ん?愛の国らしくもないって? 仕方ないでしょ。ジャンキーの女の子の相手していたらこっちの身が持たないよ。 一応、俺だって次の日に仕事あったしさ。 ・・・・・・女絡みで会議さぼるのしょっちゅうじゃんって、アメリカ、お子様は黙ってなさい。いい子にしてたらお菓子あげるから。 あー、子供は楽だ楽だ、美味しく食べて黙っていようね、アメリカちゃん。 まぁ、そんな感じでホテルに戻って、翌朝。 会議場に出かけようとしたら、あの女の子がホテルの門の影に立っていたのよ。
「ヒリペ様」
前の日と同じ着物で、しかも、土砂降りなのに傘もささないで外に立っているんだ。
「ヒリペ様」
誰かに話しかけるというよりは独り言に近い口調に、背筋がぞくっとした。
「ヒリペ様」
べったりと顔に張り付いた髪の隙間から、白目ばかりの目がこっちをまっすぐに見つめているんだ。 上目遣いに、じっとりとさ。
「ヒリペ様」
汚い着物の襟から、だらりと麻縄を垂れ下げてた。
「ヒリペ様、首を長くしてお待ちしておりました」
そうやって彼女は、縄をずるずると引きずって、俺に向かって一歩前に出した。
「ヒリペ様」
気味悪いだろ?俺は慌ててタクシーに乗り込んだ。 バックミラーには、口をパクパクさせながら、裸足で追いかけてくる姿が映ってた。
◆◆◆◆
そんなことがあって、会議の後、俺はホテルに戻らずに日本の家に泊まらせてもらうことにした。 荷物はイギリスに回収させることにして、一足早く日本の家に到着したお兄さんはかわいいポチ君をエレガントに撫で回していたんだ。 そうしていると、イギリスから電話が入った。
『おい、その女って、黄色い和服で髪を丸く結っているか?』
うん。そうだよ。すると、イギリスの声が震えた。
『そいつ、今日本の家の門にいる』
その後、イギリスは悪魔払いの用意をする、と街に戻ることになった。 『ありゃ、死人だな。 あんな格好しているやつ、現代の日本にはいないだろ? 帰ったら俺が何とかしてやるよ、髭むしらせたらな』 電話を隣で聞きながら、日本がそんなばかな、と半分恐怖で引き攣った顔でつぶやいていた。だから、お兄さんが彼女の服装を描いてみせるとうーんと唸る。 「なんだか、大分昔の、貧しい階層のお嬢さんのようですね。 とても現代の方とは思えません」
◆◆◆◆
その晩、怪しげな円陣に座らされた俺は、イギリスの悪魔払いを受けた。 坊ちゃんがすごく嬉しそうで腹が立ったね。 でも、これ以上怖い思いをしなくて良いという気持ちもあったし、やっぱり浮かばれない女の子が天国に行くのはいいことだから、お兄さんはじっと我慢したよ。天国には彼女が愛する『ヒリペ様』も、『ヒリペ様』よりいい男もいるだろうからね。 「あの女の死に際が見えたけどさ、百年以上前、お前に似たフランス人に騙されたみてぇだな。 本国に帰った男を何年も待った後、そいつが結婚した話を聞かされて、衝動的に首を吊って自殺したみたいだ」 ああ、かわいそうに。 そんなに悲しい過去を持つ娘なら、お兄さんがせめて一晩でもエスコートしてから天国に送ればよかった。 明るい色の服を着せて、美容院でキレイにしてもらって、楽しいところにいっぱい連れて行ってさ。俺は泣いたよ。 「チンケな同情はするなよ。 ああいう手合いはもう理性なんかない、ただの念の塊だ。お前と男の区別もつかねえし、つける気もねぇだろうよ。 下手に同情すればまた憑かれるぞ。 あと、アレは今は眠っているけど、日本で派手に女遊びしたりして刺激するなよ。 何するかわからないからな。 日本に性質の悪いストーカーができたと思え」 それなのに、はき捨てるように言ったイギリスに腹が立って、お兄さんは教育的指導をしたよ。勘違いして俺にとりついたとしても、ストーカーなんて言っちゃだめ。 純情な女の子だもん。優しくしてあげなきゃね。 だからイギリスはもてないって、ちょっとタンマ!ここでお兄さんが倒れたら話が終わらないでしょ。
◆◆◆◆
ま、それ以来、彼女は俺の前から姿を消した。 お兄さんは最初のうちは身をキレイにして生活したけど、女の子達がこんなイケメンを放っておくわけないよね? 次の日本滞在のとき、街で女の子と知り合った。 女の子は今流行の森ガール?っていうの、カジュアルな服を着ていて、カメラを下げていたんだ。 で、カフェで寛ぐ俺の写真を取ってくれてさ。 後で送りますって、メアドを交換したんだ。 で、その日の晩、早速彼女は写真を送ってくれた。 『送ろうかどうしようか迷ったんだけど……』 滞在先の日本の家で見たメールにはこんな断り書きがあった。 でも、俺も、隣にいた日本も気にしなかった。 「ああ、このお嬢さん、きっと恋人がいらっしゃるんですよ。 彼に内緒で他の男性にメールするのを躊躇っていらっしゃるみたいですね。 フランスさん、どれだけしつこく彼女に絡んだのですか?」 「何よ何よ、俺をしつこいナンパ男みたいに言わないでよ。 アドレス聞いてきたの彼女のほうからよ」 「にわかには信じられませんね」 そんな風に話しながらクリックした画像ファイルは、俺たちを凍らせた。
ぐるっと。
ぐるっと、長く伸びた女の首が俺に巻きついてるんだ。
画面左下から蛇のように伸びた首は、俺の胸のところで一回転絡んでいる。 女の肌には無数の引っかき傷。 あごには麻縄が食い込んでいる。 そして、俺の頬を舐めあげる女の顔は……もうわかるよね。
「彼女、首を長くして待っていたのですねぇ」
動けない俺に代わって日本が呆然とつぶやいたよ。
◆◆◆◆
それから、日本では悪さをしないようにしているんだけどさ、最近、日本にいるとき、気がつくと息が妙に苦しいんだ。 仕事で日本に来ないわけにも行かないし、どうしたもんかねぇ。イギリスにまた頼るのはむかつくし。 うん。ちょっと考えてんのは、お兄さん、もうどうせなら、何とか彼女と意思疎通して、プロデュースしようと思うの。 悲しすぎて狂ってしまったけれど、もう絶滅した大和撫子ちゃんだよ。 お兄さんがうんと愛して前の男なんか忘れさせて、甘い恋人にしちゃおうかなぁって。 美味しいもの食べさせて抱き心地良くしてさ、楽しいことたくさん教えてさ。 きっと彼女は一途で尽くすタイプだから、ああん、大和撫子恥ずかしいって顔を赤くしながら、和装メイドさんの服で俺をお出迎えしてくれるんだよ。 無垢なお嬢さんにいけないことたくさん教えてさ。お風呂も一緒にはいっちゃうわけ。 へへへ、パラダイスだねぇ。 その前にまずは修行して彼女とお話できるようにしないと。日本、後で『シャーマンエンペラー』貸してね。 え?どうしたの日本さん?いい加減にしてくださいって、別に俺は彼女を花開かせようとしているだけで……。 ちょ、ちょ、ハンガリー、フライパン振らないで!それ痛いの、マジでやめてちょうだい、暴力反対!
あれ?どうしたの?イギリス。 彼女消えたって?汚いものを見るかのような目で俺を見ていたって?何それ?何それ?何それ? 「吹っ切れました、ありがとう」って『ジョーブツ』したって? そうだよ、そうそう。俺、彼女が自分から去るように、お芝居したんだよ。 気持ち悪い変態を演じれば、彼女も恋に対する幻想が崩れて、マリア様のもとで清らかな生活をしたいと望むと思ってね。 ・・・・・・みんな、なんでそんな目で見るの? 冷たいっ!お兄さん被害者なのよ、泣いちゃう! ウクライナちゃん、その胸で泣かせて! |