From
Your Secret Admirer
バレンタインデーのカードは匿名でないといけないらしい。 『そんなんじゃ、誰から貰ったか分からなくて気味が悪いですよ』 当たり前の疑問を投げれば、このルールを教えてくれた兄は胸を張って大きく首を振った。 『相手に贈り主が誰だかアレコレ考えさせるのが粋ってもんだ。 自分の知らないところで誰かに想われているなんて、なかなかいいだろう? お前も大人になりゃわかるさ』 『シー君はお前がちゃんと独立を皆に認めさせないから子供なだけですよ! 心はもう立派な大人なのですよ!』 『飴玉しゃぶって特撮の玩具に喜んで何が大人なんだ、このお子様』 結局はいつもの展開になって、名無しの贈り物の利点などさっぱりわからないままにその日は終わった。けれど、ベッドの中で僕は秘かに決意したのだ。 今年のバレンタインデーには、僕も匿名で好きな人に贈り物をしようと。
バレンタインデーには兄は恋人の家に泊まるとかで、僕はスウェーデンパパの家に預けられていた。フィンランドがサウナに連れて行ってくれるというけれど、僕はこっそりとイギリスの家に戻って決戦の準備をする。 贈り物は黄色い薔薇の花束。 イギリスの温室にある薔薇の中で一番満開に咲いているものを失敬した花束。やはり兄の部屋からくすねたセロファンとピンクのリボンでおめかしすれば、結構可愛いと思う。素人が育てた薔薇を立派なプレゼントに変身させた自分のセンスが、我ながら恐ろしい。
『You will be mine. From your Valentine』
ライティングデスクにあった数種類のカードの中から銀のカリグラフィーで装飾されたものを選び、何日も前から考えたフレーズを書く。そして僕の名前は書かない。 この花束を見つけたとき、日本はどんな顔をするのだろう。 驚いて、夜空みたいに真っ黒な眼を見開くのか。 顎に手をあてて、贈り主をいぶかしむのか。 贈り主の姿を求めて、あたりを見回すのか。 僕が贈ったとすぐに気がつくのか。 相手の反応に思いをめぐらせるのも、確かに楽しい。 日本もこの花束を気に入ってくれるといい。 そして、僕からだと、早く気がついてくれるといいな。 僕はこみあがる笑みを押さえ切れず、浮かれた足取りでまだ寒い日本の家へと向かった。
綺麗に掃き清められた玄関は、きちんとした家主の人柄を思わせる。 僕は足音を立てないようにそっと引き戸の前に花束を置き、呼び鈴を鳴ら して、急いで門の外へと走った。 得意のピンポンダッシュ。 しばらくして、柔らかい低音の呼び声とともに引き戸がゆっくりと開かれる。 「おや?」 家主は細い眉を軽く上げ、優雅に膝を曲げて花束を取り上げた。艶やかな黒髪が立ち上がった拍子に揺れて、さらさらと風に流れるのが綺麗だった。 「・・・・・・」 僕の好きな人は長い指で花に埋もれたカードを取り上げ、目を凝らす。でも、それは思ったよりも短かった。 やがて日本の小さな顔に控えめな、でも実に幸せそうな笑顔が浮かんだ。優しい手つきで薔薇の花びらを撫で、鼻をひくり、とさせている。 僕からだと、気がついたのだろうか。 日本がふところから携帯電話を取りだす。電信柱の影に退避した僕は慌てて携帯を仕舞っているポケットをまさぐった。 着信音が静かな冬の空気を振るわせる。
軽快な電子音。
でも、それは僕のポケットからではなかった。 「ああ、買い物はもう終わった。もうすぐ着く」 道の少し向こうから聞こえてくるバリトン。 大嫌いな兄がスーパーの袋を提げて歩いてきた。動揺しながらも、僕は電信柱の後ろで更に身を縮めた。 「イギリスさん」 門扉から顔を出した日本はイギリスの姿を見つけて携帯を切る。 「イギリスさん、このお花もあなたからのですか?」 嬉しそうに花束に顔を寄せて日本が笑う。 桜の花のように優しい笑顔と、はしゃいだ声がみじめに身を隠す僕に突き刺さる。 「んー、なんだこれ?」 イギリスが僕のカードをつまみあげて、ひらひらとふった。 「これ、俺じゃねぇよ」 「じゃあ、どなたでしょうか? お届け先を間違えたのですかね?」
日本はイギリス以外の人間から好かれているなどとは全く思いつかないらしい。 僕だって日本にまとわりついて、自称ヒーローのアメリカも何かと日本にへばりついているのに。 日本はいつも、イギリスのことばかり。 僕らのことなど視界にも入っていない。 日本の一途さは恋人以外には結構厳しいかったりする。
「いや、お前宛だろ。お前、結構もてるんだな」 イギリスが日本の肩を抱いて、開けっ放しの引き戸に手をかけた。 「俺もお前が浮気しないように注意しないとな」 「私みたいなおじいちゃんが好きな物好きなんて、イギリスさんだけですよ」 「ま、物好きがどうかはともかく、相当な間抜けなことは確かだな。よりによってバレンタインデーに黄色い薔薇とはね」 「私は間抜けか物好きにしかモテないのですか。やはり三次元は私には辛い場所のようですね」 子供のように頬を膨らませる恋人を促し、兄は後手に引き戸を閉める。ふと、その顔が僕のいる電信柱へ向けられたような気がした。 その唇は端だけが器用に吊り上げられている。 きらきら輝く目はまるで猫のようだ。 喧嘩好きの本性まるだし。 極悪眉毛。 あの野郎には、花束の贈り主がわかっている。直感的に僕は悟った。 意地の悪い大嫌いな笑顔に、僕は目いっぱい舌を出して対抗する。そのまま飛び掛ろうとして、ぴしゃりと閉められた扉にブロックされた。 『あら?玄関から声が』 『外で子供が遊んでいるんだろ』 引き戸にぶつかった鼻がじんじんと痛い。 ちくしょー。眉毛の分際で。 僕は、せめてご近所迷惑になってイギリスを困らせてやろうと思い、腹に力を込め、盛大な泣き声をあげた。
黄色い薔薇:花言葉がひどい。 精一杯大人ぶってカッコつけたのに、無自覚でお兄さんの真似っこになっていた。 英日編は「俺が思うよりずっと、」→英日米海「最愛の」
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